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10月8日、尾瀬に行ってきました。 [旅]

今まで何度か尾瀬に行く計画を立てたのですが、中止になっていました。

今回はなんとしても行きたいと思っていたのです。が、北海道沖に低気圧が

停滞し、風雨の中の強行軍となってしまいました。

経路は魚沼市から陸路を御池に向かいました。細く、曲がりくねった道でしたが、舗装され

ていたので、走り難くはなかったです。

むしろ山の上から望む銀山湖はすばらしかったです。

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御池に着いて車から降りるとすごい風。時々雨が混じり、気温も7度くらいでした。

一気に冬になった感じです。

御池からはシャトルバスで「山の駅 岩沼峠」に向かいました。20分ほどかかったと思いま

す。ここでカッパを着て出発です。時々あられが降ってきました。

山を降りると湿原が広がって、これが本当に美しい。息を飲むとはこのことか。と思いました。

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すばらしい景色の中を寒さも忘れて木道を尾瀬沼ヒュッテに向かいました。

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ここでちょっと早かったですが、昼食を食べました。

夏の感覚で来てしまったので、水筒の中は冷たいお茶。仕方がないので、妻がコンビニで買った

お茶が少しは温かいかと思って聞いたら、冷たいのを買ったということで、おにぎりを食べて

いるうちに体が冷えてきたのですぐに出発しました。

尾瀬沼に沿って歩いていると風雨がいっそう激しくなってきました。

これ以上行くのは無理かと思い、引き返すことにしました。残念だけど、無理は禁物ですからね。

今回尾瀬に行ってみて、これほど美しいところとは思っていませんでした。

写真や話ではなく、出かけて、感じることが大事だなとつくづく思いました。


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台湾新幹線の車内やサービスはどう? [旅]

日本の新幹線技術を海外で初めて採用した「台湾新幹線」が経営破綻

するのではないかと言われています。しかし、その車内はすばらしいですね。

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http://photozou.jp/photo/show/315957/154195038より引用

ベースとなっているのは東海道山陽新幹線700系だとか。

商務座専用(グリーン車)ではアテンダントさんが入り口で出迎えてくれる。

シートは2+2配列でフットレスト、オーディオ、日本のプラグが

そのまま利用可能なAC110Vモバイル用電源があります。

オーディオは、中華系、英語系、ジャズ、クラシックがある

というからすごい。


さらに、茶菓子サービスがあるそうです。飲み物、お菓子、紙のおしぼり、紙ナプキン。

さらに、さらに中分、英文の新聞や雑誌も無料提供されるそうです。

日本に比べて割安のようですので、乗ってみたいですね。


私も学生の時(かなり前)に台湾から日本に留学に来ていた人と友達になり

友人と2人で遊びに行ったことがあります。

その時、台北から高雄まで高速バスで移動しました。


そのバスはベンツ製でした。少し雨が降っていましたので、運転手は

ワイパーを間欠で動かしていました。

日本だと拭き取る間隔を調整しますが、そのバスはワイパーの動きを

遅くすることで調整していました。

これだと視界の邪魔になり、また遅くしすぎると途中で止まったりして

煩わしいなと思って見ていたことを思い出します。

この時、改めて日本の技術はすばらしいと思いました。


今度は日本の技術が投入された

新幹線で台湾を旅してみたいと思いました。

そのためにも、経営改善してほしいですね。

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秋山郷の紅葉と石垣積みの棚田 [旅]

先日紅葉と石垣積みの棚田を見ようと秋山(あきやま)郷に行ってきました。
新潟県と長野県にまたがる中津川渓谷にある秘境の秋山郷。

去年もちょうど今頃訪れたのですが、残念ながらまだ、紅葉は始まっていませんでした。

今年は去年より早いようですね。
山の上の方は色づき始めていました。
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去年初めて訪れたときは山が深く、道が狭くて曲がりくねり、よくこんな所に住めるなと
思っていましたが、
この安らぐ気持ちはどうしてでしょう?また来たくなり、今年も来てしましました。

平家の落人伝説があり、昔は狩猟(特にクマ狩り)や焼畑を行っていたそうです。

秋山郷の結東には、全国農村景観百選に 選ばれ「結東の石垣田」と呼ばれている美しい棚田があります。
ここを開墾し、石を積んで田を造り、水を引くのにどれだけの労力と時間が必要だったのか。
想像を絶する苦労があったと思います。
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この、棚田を見るだけで「私もがんばらなければ」と思います。

来年は一泊で訪れて秋山郷の温泉を楽しみたいと思いました。

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水と山の美しい上高地  [旅]

水が透明で、山が美しい上高地へ行ってきました。
上高地は有名で聞いたことはありましたが、今回初めて行ってきました。。
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http://pwdrblue.exblog.jp/20897601/より引用

帝国ホテル前から橋を渡りウェストン碑の前を通り河童橋を渡り明神方面へ行き、明神橋を渡って
対岸から河童橋まで戻るコースを3人で歩きました。

帝国ホテル前まではタクシーを使いました。バスは一人1,250円で3人だと3,750円で、タクシーは
大正池まで3,500円です。当初大正池から歩く予定でしたが、急きょ変更して帝国ホテル前にしました。
それでも3,500円にしてくれました。また、途中色々と案内をしてくれました。運転手さんありがとう。

帝国ホテル前から歩いて川へ向かいました。川には岩魚だと思うのですが、魚が泳いでいて、
逃げる気配がありません。自然が守られているんだなと感じました。
川の水がすんでいて、青くみえました。六百山などの山々が川と良く合って、とてもきれいでした。

河童橋に着いて、そこでお昼にしました。私はビールを飲みましたが、少し少し寒いくらいでした。
河童橋から少し歩くと小川があり、その水草がなんとも言えないくらいきれいでした。
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明神橋まで行き、少し休憩して木道を歩き、自然を満喫しながら河童橋へ向かいました。
途中サルの群れと出会いました。近くまで来ましたが、他の人たちも写真を撮るなど、
特に怖いと思うこともありませんでした。

河童橋で少し休憩をして帰ることにしました。
そこで食べたアップルパイは最高でした。
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もう少しすると、紅葉がきれいなんでしょうね。
また訪れたいと思いました。
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★★上越蓮まつり★★ [旅]

先日妻と「上越蓮まつり」に行ってきました。
高田公園の外堀をほぼ埋め尽くすはすは、規模・美しさともに「東洋一」と言われているそうです。


「百万人観桜会」は何度か訪れたことはありましたが、はすをみに来るのは初めてです。
高田公園に着くと、春のころには想像もできない光景に驚かされました。


平日ということもあったと思いますが、「百万人観桜会」とは違い、出店もなく、駐車場も
空いていて落ち着いて散策することが出来ました。


お昼頃着いて、近くの店でご飯を食べて、2時頃はすを見ながら歩き始めました。一番暑い
時間で一周2キロのコースは無理かなと思いましたが、歩道には桜の木が日陰をつくり、
心地よい風が吹き、少し汗ばむ程度で気持ち良く歩くことが出来ました。。


はすの花が咲き終わった後、はすの葉をすべて片付けるのだろうか?れんこんは
収穫するのだろうか?などと思って見ていました。


そこで、調べてみました。
「明治4(1871)年、高田藩は戊辰戦争と大凶作による財政難に苦しんでいました。
それを打開しようと、戸野目の大地主・保阪貞吉(初代の津有村長)が自身の財産を
投じて、お堀に「れんこん」を植えたのが始まりです。れんこんは昭和37(1962)年まで
採取されていました。」



また一つ、楽しみが増えました。満足の1日でした。

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おばのところに遊びに行きました。 [旅]

久しぶりに、埼玉の叔母のところに近くの親せきと遊びに行ってきました。
昔話に花が咲いていました。今話題の富岡製糸場の話や片倉工業で
仕事をしていた話でした。



昔は養蚕が盛んで、どこの家でも蚕を飼っていたそうです。
私の地域でも、どの家でも蚕を飼っていた記憶があります。



現在では養蚕を行っている農家は一軒もありませんが、
これが当時の農家の良い収入源だったそうです。蚕のことを「ぼこ様」と
呼んでいましたし、座敷で飼っている農家もありましたので、本当に大切に
していたんだなと思いました。



しかし、その後はナイロンなどの化学繊維が出回るようになり、養蚕は衰退
していったとのことでした。



「じゃあ、その後は何で食べていったの?」
「そうだな、出稼ぎに行ったり、土方で日銭を稼いでいたな。」

「大変だったね。」



そういえば、岩塚製菓の創業者が語られていたことを思い出しました。
「この地域に冬でも出稼ぎに行かなくてもいいように産業を興す。そのためなら、
たとえ一家離散しようが、必ずやり遂げる。」
というような、内容だったと思いました。



その覚悟に感動した記憶があります。
冬に一家の主がいないということは、女手ひとつで、子育てから屋根の雪下ろし
など、全てをやらなくちゃならない。



今と違って昔は大変な雪の量で、電線をまたいで歩いたり、
家の周りが雪で覆われて、昼でも電気をつけていました。


今は、高床式の家が多いですが、昔はほとんどが2階建てで屋根から雪を降ろす。
降ろしたその雪を
片付けないとならない。2重、3重の苦労がありました。

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